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先輩移住者の声

vol.47

お母さんに寄り添った助産施設を開所したい。10年かけて袋井市で夢を実現

掲載日2021年01月29日
袋井市 子育て 夢を実現 Iターン 家族
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東京都から袋井市へ移住 高橋さん

お母さんに寄り添った助産施設を開所したい。10年かけて袋井市で夢を実現

茶畑を中心としたのどかな田園地帯が広がる袋井市。「静岡県小笠山総合運動公園スタジアム」(通称エコパ)は、「ラグビーW杯2019」日本 vs アイルランド戦が開催され、一躍その名を全国へ広めました。また、静岡県民から厄除するなら“はったさん”として親しまれる「法多山尊永寺」は、県内を中心に多くの観光客が訪れます。袋井市は県内でも住民の平均年齢が低い市で、子育て世帯が多いと言われています。
広島県出身の高橋美穂さんは、岡山県や東京都での看護師・助産師の仕事を経て、結婚とともにご主人の地元・袋井市へ移住してきました。2007年に出張助産院として開業した後、2019年に施設内で分娩可能な助産施設「お茶畑助産院」を開所しました。現在では、「いのちの大切さを伝える出前講座 LOVEBIRTH」代表、「ママの元気の応援団 mama+」代表、「いのちの神秘を伝える助産師の会」代表、「掛川助産師会」理事、「みんなのぽっけ」世話人なども勤めながら、プライベートでは3人の子どものお母さんでもあります。自分の助産院での仕事の他、助産師同士の交流の場や、幼稚園や学校などで命の大切さを伝える講座、ママたちがリフレッシュできる場所の創出、子育て支援の場づくりなどにも積極的に取り組み、とても活動的。10年かけて実現した助産院開所までの道のりや袋井市の子育て事情などについて伺いました。

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助産師になったのはなぜですか?

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山口県との県境近くにある広島県の工業地帯で生まれ、高校まで過ごしました。広島といえば原子爆弾が投下された街。毎年夏休みの登校日には原爆ドームを訪れ、戦争の話を聞くなど、平和教育を受けてきました。平和な世の中になって欲しい。子どもの頃から自然とそう考えるようになり、どんな時にも必ず必要とされる医療の道を目指すようになりました。看護師になろうと思ったのは、叔母が看護師だったことと、祖母が倒れた時に何か手助けをしてあげたいと思ったから。高校卒業後は親元を離れたかったので、岡山県にある看護学校へ進学。当時は、まだ助産師という職業も知りませんでした。
入学当初は老人看護に興味がありましたが、産科の授業で赤ちゃんが生まれる生命の神秘を知った時、本当に感動しました。医療の分野にも「おめでとう」と言える場があることを知り、卒業後は産科を志望。しかし、配属されたのは、第二希望だったNICU(新生児特定集中治療室)でした。
NICU配属後、新人のうちは赤ちゃんのお世話が仕事。30人ほどいるのですが、一人ずつ順番に検温、お風呂、おむつ替え、ミルク、寝かしつけ、そしてまたおむつ替え、ミルク、寝かしつけの繰り返し。それで1日が終わるんです。当然、お世話は事務的に。頭の骨を重ね合わせてお母さんの産道を通るというとても神秘的な誕生する赤ちゃんを、こんな事務的にお世話するという仕事に疑問を感じるようになりました。そんな中、助産師さんがお母さんの悩みを聞き、寄り添って話を聞く姿に、自分が目指す姿は助産師なのかもしれないと思うようになりました。
「助産師になりたい」と看護師長に相談したところ、産科には空きがなかったので、婦人科に異動させてもらいました。助産師の仕事は出産前後の対応だけと思われがちですが、実は女性のその後の一生を支える仕事でもあるんです。婦人科での勉強は助産師になる上で後々とても役に立つことばかりでした。
それからしばらくして、本格的に助産師の資格をとるために東京へ行くことに。収入の心配があったので、しばらくは東京の系列病院で働かせてもらいながら、受験勉強をしていました。1996年に助産師学校へ入学。1年間の勉強を経て、卒業後は学校の附属病院へ助産師として就職しました。

開業助産師になったのはなぜですか?

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助産師学校に在学中、授業の一環で実際に開業している助産師さんの話を聞く機会があり、衝撃を受けました。15人の私を除くクラス全員が、訴訟などのリスクがある開業助産師は怖いと話していました。しかし、開業助産師はお産が終わっても、成長した赤ちゃんを連れてお母さんが遊びに来てくれるなど、交流が多いのが特徴。病院勤務の助産師はお母さんと赤ちゃんとのつながりは点のみですが、開業助産師は線での繋がりになる。クラスでただ一人、私は開業助産師に憧れを抱き、開業を目指すようになりました。
卒業後、病院勤務の助産師として経験を積み、それと同時に全国の助産師ネットワークに入り、様々な助産師さんの話を聞く機会を得るなど、視野を広げていきました。
2002年に知識を増やしたいと思い、看護大学へ編入。看護学校は出ていましたが、専門学校扱いだったので今後のためにも保健師の資格も取得しました。学校を卒業してから随分と経っていたので、知識のアップデートにもなりました。

袋井市で開業したのはなぜですか?

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看護大学を卒業する2004年、主人と出会いました。主人は東京で仕事をしていたのですが、袋井のお茶農家の長男だったため、近いうち地元で農家を継ぐとのこと。私も卒業後の身の振りを考えたタイミング。「開業助産師になれるのなら場所はどこでもいいよ」と伝え、主人と袋井市へ移住することを決意しました。
2004年、結婚を機に袋井市へ。半年ほどはお茶農家の仕事を手伝ったり、ペーパードライバーだったので、車の練習をしたりしていました。幸い、袋井は車の練習をするには最適な道路が多かったので、すぐ運転できるようになりました。暮らしに慣れた頃、まずは開業助産院で働こうと思っていたところ、車で1時間ほどのところにある藤枝の助産院と出会い、そちらで働かせてもらうことになりました。
2007年3月に長女を出産。産休直前まで藤枝市の助産院で働いた後、退職し、産休中に出張助産院としての開業準備を始めました。そんな折、妊娠中に知り合った近所のお母さんからお産の依頼が。2007年7月には早くも開業助産師としての仕事を得ることができました。この頃はまだ出張助産師として、それぞれのご自宅で対応する形。口コミを通じて徐々に依頼も増えていきました。
2019年5月に、ようやく念願叶ってお産ができる助産院をオープン。本当はもっと早くに助産院をオープンしたかったのですが、家族の理解が得られなくて…。出張のお産の他、自宅の空き部屋を使って母乳ケアや整体等は行っていたのですが、お産もできる助産施設の開設は家族にとってハードルが高かったようです。2007年の長女出産後、2009年に次女、2012年に三女も出産していましたし…。少しずつ説得を重ね、理解を得られるまで、実に10年近くかかってしまいました。
助産院は、目の前にお茶畑が広がる立地で静岡県産のスギやヒノキをふんだんに利用した、木の香りがする施設です。開院前は年間5件程度だったお産が、開院して半年程度の今では1か月に2件程度。需要は増えてきていると思います。お母さんたちの学びの場にもなればと思い、ベビーマッサージやヨガ、ピラティス、おむつなし育児、スリングの使い方、音楽療法等の講師たちが教室やイベントができるホールも作りました。助産院でのお産の有無に関わらず、お茶をしたり読書したり誰にでも気軽に利用してもらえればと思っています。

袋井市での子育てのしやすさを教えてください

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のどかで空気がよいことが一番の魅力だと思います! 東京は情報が多く、刺激が多い場所ですが、空気が悪く、閉塞感がある場所。暮らしていた時は長くは住めないと感じていました。袋井市の人は穏やかな人が多く、スーパーで買い物をしていると店員さんやおばあちゃんが話しかけてくれます。温かい雰囲気の街なので、のんびりと暮らせるのではないでしょうか。
お茶はもちろんですが、マグロ、しらすといった海産物や、野菜、果物も袋井産のものが多く、「鎖国になっても生きていける町」だと思います。また、袋井市は子育て支援を頑張っていて、市としても子育てしやすい町にしようという意識があります。最近は地震や台風などの自然災害が多いですが、袋井市は災害時の母子へのケアについても整えようと頑張っていますよ。いざという時の備えがあるのは、心強いですね。

  
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