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先輩移住者の声

vol.51

移住で見つけた自分の居場所。優しい人々に囲まれながら庭師としてのスキルを積む

掲載日2021年01月29日
牧之原市 夢を実現 Iターン 単身
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千葉県から牧之原市へ移住 平元さん

移住で見つけた自分の居場所。優しい人々に囲まれながら庭師としてのスキルを積む

東名高速道路 相良牧之原IC、御前崎港、富士山静岡空港といった陸・海・空の玄関口を持つ牧之原市。縄文・弥生・古墳時代の遺跡も遺(のこ)り、江戸時代には田沼意次が大名として統治した場所。歴史を偲(しの)ぶ文化財を伝えられています。また、日本有数の海水浴場である静波海岸とさがらサンビーチを抱き、サーフポイントが点在。子どもから大人までサーフィンをしにくる人々で年中賑わいます。そして、牧之原台地には茶畑が広がり、昔と変わらない自然風景は郷愁を誘います。
千葉県から牧之原市に移住した平元松明さんは、16歳の時にスイスから帰化した日本人です。生まれた時から住んでいた千葉県では苦労が続き、新しい生き方を見つけるために牧之原市へ移住しました。庭師として働く平元さんに、希望に満ちあふれた牧之原での暮らしについて伺いました。

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庭師になったいきさつを教えてください

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祖父が戦後の混乱期に宣教師として来日し、そのまま父も私も日本で生まれました。ただ、祖父、祖父母、両親ともに全員がスイス人だったため、日本で生まれたとはいえ、日本人ではなくスイス人。16歳の時に、家族皆で帰化申請をして日本人になりました。母が亡くなり、生活がたいへんだったため、16歳の時から海苔を採る漁業の仕事に就き、生活を助けていました。漁師の仕事は年中あるわけではなかったので、時には近所にあった町工場鉄工所や解体業などで働いていたことも。漁師としても、それぞれの仕事先でも、親方や社長に気に入られ、働き手としても期待されていたと思います。いずれは海苔を採る漁師として独立したい。そんな思いが強くなっていました。
しかし、25歳の時、この地域では海苔を採る漁業権を得るのは難しいという事実を知ります。ショックが大きく、海の仕事から離れることに…。その後、芝刈りのアルバイトを通じて知り合った造園会社に声をかけられ、庭師の世界へ入りました。三つの造園会社でスキルを積み、足掛け9年ほど千葉県内で庭師として仕事をしていました。

なぜ牧之原市への移住を決めたのですか?

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千葉県で暮らしていた時、「見た目が外国人」である自分は、なかなか地域に受け入れてもらえず、辛い思いをしてきました。父と二人の姉妹も県外へ移住しましたし、自分も人に喜んでもらえる存在でいたいと思いました。大手の製鉄所や解体業で働いていた時は、自分は歯車の一部でしかなく、利用され、押し潰されそうになったこともありました。
2019年、自分の居場所を求め、東京・有楽町で開催された「静岡まるごと移住フェア」に参加。この時に牧之原市のブースで出会った牧之原市の担当者の優しい対応にとても惹かれたんです。2019年7月、2泊3日で牧之原市の個別対応の移住案内に参加し、市内を案内してもらいました。海が好きだったので、牧之原市の海岸線の美しさはとても魅力的に思えました。ここに移住しよう。そんな思いが強くなりました。
この移住案内の際、市の担当者の知人の庭師さんが造園会社を紹介してくれました。その足ですぐ面接、そして採用してもらえることに。不動産屋にも連れて行ってもらい、家も決め、翌月の2019年8月には牧之原市へ移住してきました。

庭師として、これからどんなふうに活動していきたいと考えていますか?

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日本庭園は、人の心を自然の世界と結び、庭を通じて安らぎを見付ける事が出来ます。これはヨーロッパのいわゆるガーデニングにはないものです。庭には人間にとって大事な部分が現れていて、とても惹かれる部分です。日本の庭は日本文化の一部ですし、渋さや質素さのような、武士の心もせいつうしている物が有ると思います。裕福な暮らしでなくても、武士のような定まった心と正しい生き方というのは、人としての見本になると考えています。
今はまだ、日本庭園を手がける機会には恵まれていませんが、いずれはできたらと思っています。
また、ドイツ語や英語もできるので、日本の庭づくりの技術をヨーロッパにも発信したいですね。移住相談で牧之原市を訪れた際、イベントを通じて吉田町在住の同じ庭師であり、書道家でもある方と出会いました。その方も海外発信に関心があり、すでに企画を手掛けている、その方と一緒に何かできたらなと考えています。

牧之原市の魅力と、移住を考えている方へメッセージをお願いします

牧之原市は本当に優しい土地だなと思います。以前住んでいた場所は、張り詰めたような冷たさがあり、モノは充実しているはずなのに足りていないような、本当に堅い土地でした。牧之原市に住んでから、人々がかけてくれる優しい言葉に、今でも泣きそうになることがあります。こんなに優しくしてもらえるなんて思ってもいませんでした。
牧之原市に移住してまだ半年ですが、本当にみなさんに大事にしてもらっていると感じています。嬉しいことに、私の場合、収入は千葉県の造園会社で働いていた時よりも少し増えました。会社にも大事にされているなと実感できます。
休日には、海を見に行ったり、御前崎の外海に行ってみたり、落ち着いた静かな暮らしを満喫しています。時々、海岸でギターを弾きながら歌うことも。聴いてくださる方もいますね。
ぜひ勇気を持って、今の環境から抜け出してみてください。今いる定められた環境より、もっといい生活ができるところがあると思います。私は移住を通して、自分の力をもっと生かせる環境があるということを実感しました。
知り合いもいない環境への移住でしたが、造園業仲間のBBQにも呼んでもらうなど、移住して1、2か月で多くの人に出会いました。移住後は、少し面倒に思うかもしれませんが、人の集まりの場に参加すると、地元の人をはじめ、知り合いも増えますよ。

  
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