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先輩移住者の声

vol.1

伊豆松崎町発 若手農業者、未来へのまなざし

掲載日2022年03月28日
松崎町 自然 新幹線通勤 Uターン 夫婦
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三余農園5代目・土屋 人さん

伊豆松崎町発 若手農業者、未来へのまなざし

伊豆半島の南に位置し、天城山系に囲まれ、駿河湾にも面した自然豊かな松崎町。
風光明媚な静岡県においても、特に冬から春にかけての気候が暖かく過ごしやすいこともあり、近年、移住者が増加しています。2015年、会社勤め等を経てこの松崎町へUターンし、100年以上の歴史を誇る柑橘農家「三余農園(さんよのうえん)」を継いだ土屋人(つちや じん)さんに、農業から見えてくる松崎町、そして静岡の未来についてお話を伺いました。

三余農園5代目となったきっかけについて教えてください

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中学を卒業するまでは松崎町で暮らしていましたが、進学や就職もあって一度離れました。
静岡県内の大学を卒業し、沼津の企業に勤めていましたが、父が高齢になってきたことをきっかけに、先祖代々、大切に守られてきた三余農園について真剣に考えるようになりました。
小さな頃から植物を育てることが好きだったのもありますが、何より父の代で農園を終わらせるのはもったいない、こんな寂しいことはない……と、農園を継ぐことを決めました。
3年間の会社勤めを経て、県の果樹研究センターで柑橘について勉強し、2015年に夫婦で松崎町へUターン、就農しました。三余農園5代目となり、今年で5年目となります。松崎町では移住者の集まりや、気さくに相談に乗ってくださる方がたくさんいます。

お仕事について教えてください

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現在、父母と共に40種類以上の柑橘を生産しています。最も力を注いでいるのは松崎町発祥の「栄久(えいきゅう)ぽんかん」です。私の曽祖父にあたる三余農園2代目の土屋栄久が開発した、この町でしか生産されていないオリジナルのぽんかんです。他の品種よりも栽培が困難で生産量も少ないため、市場にも流通していなかったこともあり、地元でも長らく忘れ去られていました。私の代になって改めてその価値を見直し、町の活性化へもつながればと「松崎ブランド」の認定を受けました。私と同じく、2015年に松崎町で就農した高橋幸村さん(丸高農園4代目)と共に、「栄久ぽんかん」独自の栽培法を継承し、その知名度の向上はもちろん、販路拡大に向けて動き出しています。先日も、まずは地元のみなさんにもっと「栄久ぽんかん」を知っていただこうと、町内の幼稚園と保育園へ30キロ近くをプレゼントしました。子どもたちにとても喜ばれ、大きな励みになりました。静岡県の青年農業士に認定され、農業青年クラブの副会長や全国農業担い手サミットの幹事にも就いていますので、どんどん人脈も広がっています。
人とのつながりを大切にし、「松崎町といえば、栄久ぽんかん」となるよう頑張ります!

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足もとに目を向けつつ、未来へまなざしを向ける

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松崎町だけではなく、静岡県内の至るところにまだまだ埋もれている価値や可能性があり、私たちのような若い世代がそこに新しい価値を付け加えていくべきだと思っています。
例えば、「栄久ぽんかん」の認知度向上や販路拡大のため、その果汁や果肉を材料に使ったゼリーやショコラ等の商品開発も始めています。そして、かつて祖父が営んでいた「三余荘ユースホステル」を復活させようとしています。観光誘致としてはもちろん、農業体験や移住体験ができる農家民泊を目標にし、地域おこしの一環になるような取り組みを考えています。確かに少子高齢化や人口減少も進みつつありますが、移住者や観光客が増えることで町も活気づきます。地元の人にしか分からない歴史や文化、未来へ残すべき素晴らしいコトやモノ……松崎町が持つ豊かさを、首都圏はもちろん、日本全国へ向けて発信していきたいです。

今、移住を含めて、生き方や働き方を模索している方へ

やりたいことや興味があることが見つかれば、それに対して自分ができることを、まずは小さな目標から定めて、少しずつでもいいから、とにかく動き出しましょう。即実行です。新しい場所へ飛び込む勇気さえあれば、案外、何とかなります。
私は柑橘の最も美味しいタイミングを逃さず収穫することにこだわっていますが、人生にも逃してはいけないタイミングがあると思います。
「苦しい時も楽しみなさい」という、私が座右の銘にしている、松崎町が生んだ「三聖※」の一人、依田佐二平(よだ さじべい)が残した言葉があります。前向きでありさえすれば、未来を切り拓くこともできると信じています。

※松崎町の三聖……土屋三余(幕末の漢学者)・依田佐二平(明治時代の実業家)・依田勉三(北海道開拓者)

(取材日 2019年3月5日)

  
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